2013-01-20

『勝手にしやがれ』のファム・アンファンなパトリシア、縞模様ファッションのジーン・セバーグ


—ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン!


シャンゼリゼのど真ん中で大声を上げながら新聞を立ち売りするアメリカ娘のパトリシア。『勝手にしやがれ』(ジャン=リュック・ゴダール、1959年)の、そしてヌーヴェル・ヴァーグの象徴としても有名なこのシーンで、ヒロインのパトリシアを演じたジーン・セバーグはなんともファム・アンファン(少年のような魅力を持った女性)な出立ちで登場している。新聞社のロゴの入ったぴったりとしたTシャツにサブリナパンツ、足元はぺったんこシューズ、小さな巾着のバッグを持ち、髪型は超ショートのセシルカットだ。

この作品は今観るとお洒落でファッショナブルな映画、ぐらいに捉えられるのが一般的だと思うのだが、ジーン・セバーグのファッションは、実は当時のパリの流行でもなんでもない。フランス人が抱いていた、性に対して解放的だというアメリカのヤンキー娘のイメージを反映させたファッションにすぎないのだというから驚きだ。Tシャツ姿のセバーグに向かって「ブラジャーつけてねぇのか?」と言うベルモンドの台詞からもそのような意味が汲み取れるかもしれないが、当時の日本人ももちろんパリの最先端のファッションと受け取っていたようだ。

オードリー・ヘプバーンの影響でサブリナパンツが爆発的な人気を誇ったのが1954年以降だから、この映画の公開が1960年ということを考えるとパンツスタイルはすでに定番のファッションであったのだろうと推測されるが、もの凄いラフな恰好のようにも感じられる。そしてセバーグの持つ中性性を際立たせているのは、なんといってもモンチッチばりのセシルカットであろう。



パリの(というかこの映画の)イメージが強すぎて、私自身いまだにセバーグがバリバリのハリウッド女優ということを忘れてしまうのだが、スウェーデン系アメリカ人の娘としてアイオワ州に生まれたジーン・セバーグは、もともとロングヘアの美少女であった。17歳のときに1万8千人の中からオットー・プレミンジャー監督の『聖女ジャンヌ・ダーク』の主役に抜擢されてデビューするが、このときジャンヌ・ダルクを演じる為にばっさりと髪を切っている。この作品は興行的にもふるわず、プレミンジャーはセバーグの演技に不満を爆発させまくっていたそうだ。

にもかかわらず、プレミンジャーはベストセラー小説『悲しみよこんにちは』を映画化するにあたり再びセバーグに主役を与えた。フランスの小説をハリウッド映画へと作り変え、主人公のセシルを文学好きな夢想家の少女から活発なブルジョワ娘へと大幅に変更、そしてセバーグをジャンヌ・ダルクと同じ少年のような短髪で出演させたのだった。セバーグの容姿が放つ溌剌とした健康的な明るさと、それとは対照的な思春期特有の不安定な脆さがうまく描かれた映画であるが、こちらも興行的には失敗している。しかし斬新なセバーグの髪型はセシルカットと名付けられ、世界中で大評判となったのだった。



『勝手にしやがれ』を撮影する際、ゴダールはセバーグに対し、「君は2年後のセシルということでいい」と伝えた。ゴダールの要望通りセシルカットで登場したセバーグは、終始ファム・アンファンな魅力を振りまいている。ゴダールは俳優の見せ方、とりわけ女優の魅力を引き出すことにかけてもかなりの名手である。アンナ・カリーナを筆頭に、この映画のベルモンドもそうだが、無名の俳優を一気にスターの座へと導いた。ジーン・セバーグも例外ではないだろう。プレミンジャーによって引き出されたセバーグのキャラクターを踏襲させたのは、おそらくゴダールにとってセバーグの子供っぽいユニセックスな雰囲気そのものが、インスピレーションの源になっていたからに違いない。ルノワールの少女像の横にセバーグを立たせた演出からもわかるように、この映画でゴダールはセバーグの美しさに対して溢れんばかりの賛辞を並べ上げている。

とはいえ、当時のフランス人が想い描いていたステレオタイプの開放的なアメリカ娘であるパトリシアは、子供っぽいようでいて本心は決して明かさず、狡賢いようなところもあり、なかなか掴みどころのない女性である。ベルモンドに「とびきりの美人というわけではないが、20点満点中15点といった感じの個性的な女」「ちょっと変わった女」と言わせていることからもパトリアがパリの女とはまるで違っていることがうかがえるのだが、パトリシアはパトリシアで一言目にはフランス人への不満を漏らし、「パリっ子のスカートってダサイ」と平然と言ってのける。パリがモードの中心であるという世界的な常識を考えれば、これはおそるべき台詞である。



パトリシアはどちらかというとファッションにはあまり興味がない女性のように描かれている。とりわけパリの流行にはまるで感心がない。パトリシアの目下の希望はアルバイト先の新聞社で記事を書かせてもらうことだ。パトリシアの部屋で繰り広げられる会話のシーンからパトリシアの興味の対象が明らかになる。絵画、クラシック、とりわけ文学への憧れが顕著なようだ。

それでも、パトリシアのファッションの趣味がおもしろいほど一貫していることには誰もが気付かずにはいられないだろう。パトリシアはいつも縞模様の洋服ばかり着ているのである。シャツもワンピースもタンクトップも、パトリシアの部屋で待ち伏せているベルモンドが着ているバスローブにいたるまで、なにもかもが縞模様なのだ。おまけにパトリシアがパジャマ代わりに着ているベルモンドのYシャツも縞模様ときている。



『勝手にしやがれ』が公開された当時のショックはいかなる手を使ってももはや体感することができない。どんなに強く望んでも、繰り返しビデオを観ながら想像することしか、誰かの記憶を掘り起こしてまとめられた書物から知り得ることしかできない。それがいまさら何になろう?と否定的に考えることもあるけれど、私はいつものように再生ボタンを押してしまう。

ヌーヴェル・ヴァーグの神話に生きるジーン・セバーグ。鏡のなかの、しかめっ面の彼女は今日も私をほんのすこし切なくさせるのだ。



勝手にしやがれ
製作年:1959年 製作国:フランス 時間:90分
原題:À bout de souffle
監督:ジャン=リュック・ゴダール
撮影:ラウル・クタール
脚本:フランソワ・トリュフォー
出演:ジャン=ポール・ベルモンド,ジーン・セバーグ,ジャン=ピエール・メルヴィル



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2013-01-16

クシシュトフ・キェシロフスキ


ポーランドが生んだ鬼才、クシシュトフ・キェシロフスキ(Krzysztof Kieślowski-1941年〜1996年)は、『デカローグ』『ふたりのベロニカ』『トリコロール』といった傑作を次々に発表したあと、創作の絶頂期にありながら96年に心臓発作で急逝してしまった。54歳の若さだった。10代の頃にお父様を結核で亡くされたキェシロフスキは、父親の虚弱体質を受け継いでしまったことを口にこそ出さなかったが、生涯にわたり気にかけていたように思われる。

私はキェシロフスキの作品はどれも後追いだけれど、長編映画はすべて観ることができ本当に幸せだと思う。その早すぎる死がとても悲しく残念でならないけれど、なにものにも代え難い時間を与えてくれるキェシロフスキの映画をこれから先もきっと何度も観返すに違いない。


キェシロフスキはロマン・ポランスキーやアンジェイ・ワイダを世に送り出したポーランドの名門、ウィッチ映画大学出身。政治と無関係ではいられなかった戦後のポーランドでドキュメンタリー映画から始めた人だった。いくつかの短編を撮ったあと劇映画に転じ、習作のつもりでテレビドラマの制作に携わっている。共産党政権下のポーランドでは劇場映画の監督と認められるにはいくつかの手順を踏む必要があり、まずはテレビ用の映画を撮るのが通常のやり方とされていた。映画産業は国が統轄し、制作に介入することが可能な時代。共産党による検閲が存在していたけれど、検閲官の目をごまかすことはそれほど難しいことではなく、むしろ国から制作費があてがわれたため、資金の確保や市場の心配といった問題とは無関係に映画を作ることができたのだという。

そしてなにより熱心な観客がいたのだった。検閲官の手を逃れることのできた言葉の意味を観客は正確に読み取ることができたし、監督と観客が一体となって検閲官という敵に立ち向かうような雰囲気があった。検閲制度があったおかげで映画は国民に夢を与えることができた、そんな時代だ。当時についてキェシロフスキは、検閲制度によって自由が大幅に制限されたのではなく、簡単に映画を作ることができるいい時代だった、と語っている。いくらパリが、西側の生活条件がよくても、ポーランドなしの人生は考えられない、とも。


キェシロフスキの作品の何が私を夢中にさせるのか、あらためて考えてみると自分でもその理由はよくわからない。初期の長編は個人を描いているとはいえ、背景には政治的色合いが濃く垂れ込めているので正直なところ心底おもしろいとは言いがたい。けれど、ポーランドについて、共産党についてよくわからない者が観てもわからないなりに最後まで淡々とみせてしまうのもひとつの魅力だろう。そしてキェシロフスキを世界的地位に押し上げることとなった『デカローグ』『ふたりのベロニカ』『トリコロール』、これらの崇高な映画はとてもじゃないけれど書き尽くせない。思い出すたびに胸が震えてしまう。

キェシロフスキの作品はそのどれもが物語ではなく感情を扱った映画だ。私が彼の映画に惹き付けられる一番の理由もそこにあるのかもしれない。そして、人生のもっとも大切な瞬間を切り取っている。もっとも大切な瞬間、とは生涯を通じて一番決定的な時間という意味ではなく、その人物にとってのいま現在、その時、ということだ。だからキェシロフスキは愛するという感情を描いた。しかしキェシロフスキの映画が恋愛映画なのかどうかは定かではない。おそらく答えは「ノー」なのだが。ロマンティシズムに陥りかねない状況をギリギリのところでバランスを保ちながら浮遊しているような感覚、とでもいえようか。

キェシロフスキの映画とは一体何なのであろう?キェシロフスキの映画は、はっきりいって結末などどうでもいいように思われる。なぜなら結末は観ている者にすべて委ねられているからだ。感情の生まれる過程を描いているのに、感情が生まれる背景についてはほとんど説明されることがない。つまり、キェシロフスキは物語そのものを描くことを拒否し、点景をパズルのピースのようにちりばめ、観る者がそれぞれの解釈でそれぞれの好きなように物語を構築することが可能な映画を撮った。これは特に『ふたりのベロニカ』と『トリコロール』にみられる方法で、ただの幻想かおとぎ話ではないのかという批判も聞かれた。

しかし私はキェシロフスキのこの2作を観てはじめて、自分がなぜ映画を観るのか?という問いの答えを見出すことができた。そして、これまで無知だったポーランドの歩んできた歴史、その複雑な背景について感心を持ち、なにかを感じ得ることができたのもキェシロフスキとの出会いからだった……。





キェシロフスキの世界
クシシュトフ キェシロフスキ
河出書房新社

2013-01-10

明けましておめでとうございます


明けましておめでとうございます。
遅ればせながら本年もどうぞよろしくお願いします。

リンクにtumblrを追加しました。
思い切ってレイアウトも変更してみたけれど、慣れるまで時間がかかりそう。
色々弄りながらゆっくり書いていきたいと思います。





2013年最初の動画は、キュートでキッチュなミュージカル映画『アンナ』(1967年・フランス)より。