2012-03-09

スティーヴ・ブシェミ、『イン・ザ・スープ』(1993年・アメリカ)


ニューヨークで貧乏暮らしをしながら映画監督を志すアルドルフォ青年は、隣の部屋に住む美女、アンジェリカをヒロインに映画を撮ることを夢見る。しかし現実は家賃を払えず金に困り果て、長年あたためていたシナリオを売ると広告に出す。すると、ジョーと名乗る胡散臭い男が1万ドルで買うと言い、製作資金まで出してくれるという。しかしジョーは資金調達という理由でアルドルフォを連れ回し、アルドルフォは怪しい仕事に手を出すことになる...


この映画は監督自身の体験が元になっていて、金に困ってサックスを売りに出したとき、小物のギャングに出会って気に入られ、一作目の映画資金を出してもらったそうだ。タイトルの『イン・ザ・スープ』とは窮地に陥るというような意味があるのだが、映画に魅せられた普通の青年が、映画を作りたいがためにやくざの仕事に巻き込まれ、しかし映画の撮影はいっこうに進まない、これは当人にしてみれば本当にヤバい状態である。


この作品から私が感じたのは映画を作るということはスープを作るようなものだということだ。冒頭でアルドルフォが料理を作っている。卵を割り入れ、ベーコンエッグか何かと思って見ていたのが、そこに牛乳のような液体を注ぎ、モノクロの画面も手伝ってすごくまずそうな料理に見える。しかし出来上がって皿に盛ってみると、それはまずそうではない、きちんとしたスープの姿をしているのである。アルドルフォはそれを食べながら母親に電話をする。今月も家賃が払えないので送金を頼むよ、かあちゃん、といったぐあいにだ。



映画を作るとは、まさに鍋の中に監督の哲学と俳優を放り込むような感じで、火をつけたのはいいが、想定していた材料がなく、冷蔵庫の中にあるものでしか作れないといったような状況に似ているのだろう。鍋の中で煮詰まる具材、混ざる調味料、器に盛ればそれなりの料理には見える。熱いうちは良いだろう。湯気が立ち上り、美味そうな香りも漂ってくるだろう。しかしスープは冷めるとまずい。いくら味がよくても冷めるとまずいのである。情熱も冷めると後には虚無感しか残らないのと同じように。アルドルフォは最後まで映画への情熱を絶やさない。この映画を支えているのはアルドルフォの映画への情熱と、映画を愛する人間が持っている、映画への愛着である。アルドルフォの部屋にはポスターが貼ってある。タルコフスキーである。そして初期のゴダールが最高だと言う。アルドルフォは隣の部屋に住むアンジェリカをヒロインに映画を撮ってみたいと夢見ている。まるでゴダールが無名のアンナ・カリーナをヒロインに従えていくつも素晴らしい映画を世に送り出したように。



スティーヴ・ブシェミ(ブシェーミとも)というアメリカの俳優について私が知っていること。それは、コーエン兄弟やジム・ジャームッシュの映画に出てくる、殺されたり絡まれたりしていつも悲惨な目に遭っている「変な顔の人」だ。しかしアクターズ・スタジオ出身の確かな実力を備えた俳優で、個性的なルックスと不気味な佇まいで日本でも異様な人気がある。おそらく彼の出演作を何らかの形で観たことのある人間の大半は、スティーヴ・ブシェミという名前を知らなくとも、変な顔の俳優として記憶しているのではないだろうか。姿を見せたと思えばすぐさま殺されたりしてスクリーンからさっさと消えることも少なくはないし、どちらかといえば小物の役が多いけれど、顔のインパクトには相当なものがある。


変な顔、変な顔とばかり書いてたいへん失礼だと思われるかもしれないが、この作品は、変な顔の張本人であるブシェミが主人公なのである。おそらくこの監督は、ブシェミの最大の武器でもあり最高の魅力でもある、変な顔というキャラクターを活かしながらこの映画を作っている。アルドルフォのシナリオを買うと名乗り出た小物のギャングであるジョーは、アルドルフォの顔を見るなり、なんだかよくわからないがお前が気に入ったと言って、アルドルフォに一万ドルを渡す。隣の家に住むアンジェリカの甥っ子も、なんだかよくわからないが一目見た瞬間にアルドルフォのことが気に入った様子で彼を慕う。なんだかよくわからないが気に入った、というのはスティーヴ・ブシェミという俳優に対してわれわれが抱く想いそのものといった感じがする。



そして面白いのは、変な顔のブシェミがごく普通の青年をごく自然に演じているということだ。変な顔のブシェミが夢を追う貧しい青年を普通に演じていることに、われわれはどこかしら違和感をおぼえる。しかしその違和感も最初のうちだけで、やがて変な顔のブシェミが変な顔でなくなる、というか、変な顔と記憶していたブシェミがいつのまにか変な顔に見えなくなっている。最高の癒し系というか、癒されるような映画であることは確かなのだが、さらに恐るべきことに、怪しい役柄の多い三枚目で通っていたブシェミが、実は驚くほど二枚目な俳優ではないかということにはっと気付かされる。単なるモノクロ映画のせいなのかもしれないが、少なくとも私はこのアルドルフォという役を演じたブシェミは美男子(と書くとなぜか気持ち悪い感じがするが)と記憶している。私は歯並びフェチなのだが、ブシェミは笑った時の歯が両八重歯ぽくて良い。これほどブシェミの歯並びを愛おしいと思ったことがない。そしてなによりもこの映画のブシェミは立ち姿が美しかった。


ブシェミばかり褒めたような感じだが、この映画は本当に素晴らしい。私はエンドロールを最後まで観ることは滅多にないのだけれど、余韻に浸るような映画は久しぶりだった。



イン・ザ・スープ
製作年:1992年 製作国:アメリカ 時間:93分
原題:IN THE SOUP
監督:アレクサンダー・ロックウェル
出演:スティーヴ・ブシェミ、シーモア・カッセル、ジェニファー・ビールス、ジム・ジャームッシュ

イン・ザ・スープ プレミアム・エディション [DVD]
ジェネオン エンタテインメント (2007-05-25)

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