2012-01-21

アンナはアンナである、ヌーヴェル・ヴァーグの花嫁 アンナ・カリーナ


ゴダールの映画が好き。というより、アンナ・カリーナが出演しているゴダールの映画が好きである。

カリーナのいないゴダール映画というのは、暖炉のない応接間、光の射さない窓辺のようである。ゴダール映画におけるアンナ・カリーナとは暖炉であり光なのである。アンナ・カリーナというひとりの女優をとおして彼の映画は息づき、感情という温度をまとい、美しくも哀しい言葉たちが、ときには溢れんばかりの愛に満ち満ちて、スクリーンをはしゃぎ回っているようでもあった。

ゴダールは、映画とは男が女を撮る歴史であると語ったが、ゴダールにとって女とは、少なくとも60年代の彼にとってのそれは間違いなくアンナ・カリーナであった。その証拠に、61年にゴダールはアンナ・カリーナを主役に『女は女である』というミュージカル・コメディのような稀に見る可愛らしい作品を撮ったが、それは映画をとおして『女は女である』ことの証明をおこなったのではなく、『アンナはアンナである』ことを一本のフィルムに収めたにすぎなかったからだ。

60年から67年のあいだに、アンナ・カリーナをヒロインにして、ゴダールは長編7本と短編を1本を撮っている。『小さな兵隊』『女は女である』『女と男のいる舗道』『はなればなれに』『アルファヴィル』『気狂いピエロ』『メイド・イン・USA』『未来展望』である。この7年のあいだに、二人は結婚し、離婚したが、カリーナは離婚後もパートナーとして彼の作品に出演し続けた。


「一人の女優と一緒に仕事をし、その女優を映画に出演させ、しかもその女優と一緒に暮らしていた」「アンナとぼくのこと」、「そしてある日、一人が涙を流している」としたら「その涙をそのあとの映画のなかで見てとることができた」(ゴダール全評論・全発言1)



私がアンナ・カリーナという女優を知ったのは、スクリーンの中ではなく、ある小説のなかにおいてであった。私が敬愛する作家のひとりである阿部和重の処女作『アメリカの夜』に、おそらくゴダールに関する諸説を引用するようなかたちでアンナ・カリーナの名前が登場したのだった。阿部和重は映画学校出身で、タイトルからしてトリュフォーなのであるが、彼の小説が好きでいろいろな作品を読んでいくうちに、私自身も映画を観るようになってしまった。

アンナ・カリーナという名前の響きがトルストイの『アンナ・カレーニナ』を彷彿させるので、実際に彼女の姿を拝見するまでは、ずっとトルストイの小説のカレーニン夫人のような内に情熱を秘めた凛とした貴婦人を頭の中に想い描いていたのだが、初めて観たゴダールの『気狂いピエロ』でそのイメージは跡形もなく崩れ去ってゆく。そして、アンナ・カリーナはこれまでに観たどの映画のなかにもいない、誰にも似ていない、素晴らしく可愛らしい女性であったのである!


アイメイクをバッチリと施した瞳、猫のような鋭い視線、しなやかな肢体、おもちゃをねだる子どものように甘えてみたかと思えば、あっけなく男を裏切る(もちろん映画の話だけれど)自由奔放なという言葉が彼女には嫌味なく似合うのである。そして、カリーナといえばそのファッションもゴダール映画における重要なポイントになっている。しかも、どれもほんとうに可愛いのである!『気狂いピエロ』ではピンクのフリルのついたワンピースに水色のカーディガンをはおり、右手にはマシンガンを持って、あるときは赤いワンピースに小さな犬の形のバッグを合わせている。港のシーンでのキュートなまぶしいマリンルックには、ターコイズ・ブルーのパンツにバレエシューズを難無く着こなしていた。

彼女のファッションを参考にするのは個人的にはかなり敷居が高いとも思っております。ゴダールは大胆に赤を使うことが多く、カリーナにも赤いセーターを着せたり、赤いストッキングを履かせたりしている。モノクロの作品だと、何の装飾もないシンプルなセーターに膝丈のスカートを合わせているだけであったり、それでもカリーナはとびっきり可愛いく着こなしているのである。もともと着こなしが上手い人なのだろう。誰にも真似できない、誰にも似ていない、稀有な女優、それがアンナ・カリーナである。どんな役名を与えられようと、アンナはアンナなのである。


アンナ・カリーナは1940年、デンマークのコペンハーゲンに生まれた。父は軍人、母は洋裁学校を営んでいた。母親は何度も再婚しており、決まった姓がなかったため、姓は捨ててHanne-Karin(ハンネ・カリン)という名だけ残して、アン・カリンと名乗っていた。

17歳のとき家出同然でパリに向かう。小汚い恰好でカフェにいるところを、モデルとしてスカウトされ、細々と活動をはじめた。未成年でお金もなく、ジュニア向けの洋服の写真をやっていたとき、カメラマンに「何か仕事がもらえるかもしれないから写真を持ってエレーヌ・ラザレフに会いに行きなさい」と言われ、彼女に会いに行った。彼女とは当時の『ELLE』の編集長である。

アンナ・カリーナという名前はココ・シャネルが名付けたというのは有名な話であるが、シャネル女史に出会ったのもこのときで、エレーヌ・ラザレフに会いに行くと、シックな婦人がもうひとりいて名前を聞くので、「アン・カリンです」と答えると、語呂が悪いからアンナ・カリーナにしなさいと即座に決められたのであった。たまたまそこで偶然出会っただけであり、カリーナはシャネルの店で仕事をしたことは一度もない。


身寄りもなく、知り合いもなく、小さなホテルに住み朝食だけで生活をしていた17歳のアンナ・カリーナは、まもなくピエール・カルダンのマヌカンとして活躍し始める。その頃、長編第一作目となる『勝手にしやがれ』を撮ろうとしていたゴダールは、カリーナが石鹸のコマーシャル・フィルムに出ているのを見て、この娘なら裸になるのは平気だろうと思い、ヌードになる脇役にカリーナを起用しようと電報で呼び出していた。カリーナは「脱ぎません」と断るが、4ヶ月後に再度ゴダールから呼び出され、今度はヒロインの役だと言われる。これが『小さな兵隊』(1960年)である。

しかしその直後に「ジャン=リュック・ゴダール主演女優兼恋人を発見す」という新聞記事が出て大騒ぎになってしまう。騒ぎのもとはそれより前に「ジャン=リュック・ゴダールは次回作『小さな兵隊』を準備中で、その出演者および恋人として18歳から22歳の娘を求む」というゴダール直筆の広告を見ていた女性ゴシップライターが勝手に想像を膨らませて書いた記事であったのだが、このことにカリーナは心を痛め、絶対に映画には出ないとゴダールに電話で涙の抗議をしたのである。すると電報がきて、


「ハンス・クリスチャン・アンデルセンのおとぎの国の少女が涙なんか流してはいけない」


というクサい文句とともに、ドアをノックするのであけてみると、ゴダールが赤いバラを50本も持ってあやまりに来ていた......





かくして彼女は映画狂のインテリ男から赤いバラ50本以上の愛を贈られ、男は彼女を、自身の映画に出演させるひとりの女優を手に入れたのである。ヌーヴェル・ヴァーグの花嫁の誕生であった。


我がミューズ、アンナ・カリーナ。そろそろ写真集のひとつでも出て欲しいと願っております。


:関連書籍:

Anna Karina: La Princesa de la Nouvelle Vague / The Princess of French New Wave
Albert Galera,Editorial Alreves S.L.(著)

(洋書/スペイン語)『ヌーヴェル・ヴァーグの花嫁』と題された、映画評論家によるカリーナの伝記。白黒のスクリーンショット、スナップ写真、カラー写真が掲載されており、用語辞典とフィロモグラフィーが完備されたアンナ・カリーナの研究書です。
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FRENCH CHIC―perfect style of Parisienne
マーブルブックス(編集)

マーブルブックスのPerfect Styleシリーズから出た「パリジェンヌ」特集。ファッションやメイクの解説が載っています。このシリーズはデザインが可愛いのでペラペラめくって眺めるぶんには良いかも。
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美人学入門―私はパリのモデルを育てた (1973年)
カトリーヌ・アルレ(著)

田舎の家出娘であったカリーナを発掘し、育てたフランスのファッション界の重鎮、カトリーヌ・アルレの著書。特別カリーナに関する記述があるわけではないのですが、60-70時代のファッション、モデル業界に興味がある方や美意識を高めたい方にお勧めです。
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ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代
山田 宏一(著)

フランス映画評といえばこの方、トリュフォーの友人でもお馴染みの山田宏一氏によるカリーナのインタビューを収録。カリーナ本人が語る生い立ちは読み応え十分です。また、山田氏が60年代にカリーナのアパルトマンで撮影した貴重な写真も数点載っています。
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ゴダールと女たち (講談社現代新書)
四方田 犬彦(著) 講談社

ゴダール映画のヒロインにスポットを当てた、ゴダールに関する軽い読み物。アンナ・カリーナ、ジーン・セバーグ、アンヌ・ヴィアゼムスキー、ジェーン・フォンダなど、ゴダール女優に興味があれば面白く読み進めることができます。
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